パイオニアランとは

Bookmark this on Google Bookmarks
Pocket

このページでは、パイオニアランジャパンを運営するにあたっての、土台になっている考え方を記載します。

 

「主催者からのメッセージ」

並びに「パイオニアランの理念」

そして「パイオニアランのスピリッツ」

これら3つです。

 

 

1.主催者のメッセージ

-斎藤さん2

パイオニア・ラン・ジャパンも、目標300年の十分の一を通過中。まだまだ元気良く走れる「人車一体」のお祭りです。

バイクに跨った瞬間、男の顔は哲学者になる。

基本的にバイクは男の道具だと思う。アラビアのロレンスもスティーブ・マックィーンもそのパートナーはいつもバイクだった事がそれを物語っている。真の男は軽々しく感動しない・軽々しく感激はしないというメッセージだろうが、ことバイクだけは別だ。

白煙にまみれ、オイルにまみれ、雨風に晒されながら寡黙に走り続ける。宇都宮ろまんちっく村。パイオニア・ラン・ジャパンは此処にある。

 

バイクも発動機もクルマ達もそのストロークに酔いしれるイベントへ万障繰り合わせてご参加下さい。

基本は安全です。宜しくお願いします。

 

パイオニアラン主宰 斎藤

 

 

 

2.パイオニアランの理念

パイオニアランとは 理念

下記の文章は、1984年4月15日に開催した際の、「第1回パイオニアランジャパン」のポスターに記載された文章です。

イベントを初めて開催するにあたっての、立ち上げメンバーの想い・理念がここに詰まっています。

 

ダイムラーがモーター付二輪車を誕生させてから明年で百年になります。
この間のいちじるしい進歩によって現在私達は素晴らしい二輪文化を享受する事ができる様になりました。

こうした今、これを作り改良し発展させた人々に対して私達は理想の形で感謝する為パイオニアランジャパンという形を考えました。高度に発展してゆくハイテクノロジーはとまる事なく進歩していくでしょう。そうした未来に大きな希望も又、少し恐れも感じるからこそ……。戦後日本の二輪文化の原点である時代そのものを走らせ残していくという意味は大きいと考えるのです。

こうした観点から草々の旧車にオイルとペトロールを満たし人間性の火を入れて日光杉並木を三百年間走らせ続けようとPRJは企画しました。

しかしこの逍遥(しょうよう)の途中には石油資源の問題をはじめあらゆる社会情勢の変化があると思います。行き止まりの道ではあっても機械があくまで人間の為のものであるという原点にどうしても片足だけはつけておきたいのです。
道に迷った時の道しるべは誰にとってもありがたいはずですから。現存している旧車が現オーナーの手をいつか離れた300年後も未来の見知らぬ人々を載せて杉並木に銀輪を輝かせていたらそれだけでも素晴らしいと思います。
どうか全ての二輪車を愛する方々の御理解と御協力をお願いします。

 

この真摯な思いを胸に秘めながら、そして数多くの方々のご協力を賜ることで、パイオニアランジャパンは30年以上継続することが出来ました。今後も40年目、50年目と、新たなる節目、そして300年を目指して永く続けていく所存です。

 

 

3.パイオニアランのスピリッツ

img_0

国産初のオートバイ NS号の写真

 

以下の詩は、明治期に国産初のバイク NS号を「独力」で制作され、後に島津モーター研究所を立ち上げられた、島津楢蔵(しまず ならぞう)氏が記されたものです。

誰もやったことがないエンジンの製作。血の滲むような試行錯誤を繰り返し、単純に、というか純粋にンジンが廻ったこと・・・。その時の驚愕と喜びを詠まれたものです。

 

狂奮
希望に燃え 希望に悩んだ半信半疑のこころみ
青い煙りを 吐きつつ とぎれとぎれの爆音を立てて
処女作のエンジンが産声をあげた一瞬
全身の血潮は加熱し 沸騰したのか
常態を失して もう大地に足がつかない
廻った廻ったと 独り言を繰り返しつつ自身が回転するように
門外へ飛び出し 飛び出しては戻るのであった
嬉しいばかりではない 始めてあじわう驚きだ
狂気が90パーセント 喜びが10パーセントぐらいだ
不可能の境地から可能の世界へ飛び込んだ気持ち
これを成し遂げたもののみが
あじわう大自然のたまものであろう
1908年 明治41年  島津楢蔵

 

 

この先駆的な精神こそが、

我々は最も大事にすべき「パイオニアスピリッツ」であると感じています。

 

 

Bookmark this on Google Bookmarks
Pocket